哲学者かく笑えり

哲学者かく笑えり (講談社文庫)

哲学者かく笑えり (講談社文庫)

前回、『われ大いに笑う、ゆえにわれ笑う』を読んだ後、父上に「哲学関連の別のおすすめ書を教えてほしい」旨のメールを送ったところ、1冊で飽きるのではなく、まずは土屋賢二の本を4、5冊読むべしという返事が返ってきた。


うーむ。ジャッキーチェンがカンフーの修行で、その意味もわからずただひたすら、悶々としながら風呂掃除をする場面があるが、そういうことなのであろうか。これまで未経験の何かを学ぶためには、おそらくある種の「素直さ」が必要であると思われる。よって、「これはどう考えても哲学の本ではない」などという雑念に惑わされることなく、ただひたすらに読んでみるしかない。


というわけで本書を読んでみたわけだが、『われ大いに笑う、ゆえにわれ笑う』のように、電車の中で笑いを堪えきれなくなるようなおもしろいものでもない。相変わらず、主張に対する論拠がひねくれており、これも一種の芸かもしれないと思ったりした。しいて言えば、「第十二章 卒業はいかにしてなされるか」はおもしろかった。また、「【付録】滞英往復書簡録」も、いい年をしたジジイ同士のツンデレぶりを見るにつけ、「友人っていいなものだな」とほのぼのとした気分になった。


しかし、依然として哲学のなんたるかは全くもって不明である。更に困ったことに、著者自身が「本書は哲学書ではない」と断言している。これは一体どうしたものだろうか。謎は深まるばかり。